次郎長も大迷惑
山口組系の暴力団が清水の次郎長を引き継ぐと宣言。襲名披露を行った。
>有度山(清水市)の開発、三保(清水市)の新田開拓、巴川
(清水市)の架橋、などの地元事業のほかに、遠州相良(榛原郡相良町)で油田の発掘事業にも携わったり、明治8年には鉄舟の勧めで富士の裾野(現富士市大
淵次郎長町あたり)の開墾に着手。自らも鍬を握り十年にわたって開墾に励んだのである。また開墾のかたわら、「これからは外交の時代、言葉ぐらい話せなく
ては」と先駆け、明治9年に清水に英語教師を招いて若者の英語教育を始めたほか蒸気船の必要を力説し、自らも所有して清水港とその発展に尽力した。
晩年、次郎長67才の時、波止場に汽船宿『末広』を経営し、海軍少佐小笠原長生をはじめとする要人も多く訪れた。そして、いつも懐に菓子を持ち子供に与
え、金を持てば困った人にくれてまわる毎日だった。人々はそんな人柄を愛し、誰もが『次郎長さん』と敬称した。
明治26年6月12日、74才で大往生をとげた<
こうした人物を単なるやくざが継ぐというのはいかがな物でしょうか?
山口組系が次郎長「清水一家」を継承