次の金曜日の夜にやる「夜のデジカメピクニック」の予行演習として原宿から青山一丁目を経由してミッドタウンまで歩いてみた。
フツウに歩いて1時間ってことは止まったりしながらでも1時間半から2時間くらいで到着できそう。
ということでそんな予行演習の夕暮れを撮ってみた。
表参道から246に出てきたところ。表参道の写真が無いのがちょっとナニですが、あまりに人が多くてカメラの向ける方向が無いって感じだった。
でホンダの本社に来てみるとなにやら人だかりが。
なるほど。戸井十月さんですか。
それから例のパナメーラを見つけたあたりでちょっと脇道に入ります。
ちょっと路地を入っていくとこんなお店発見。
そこからは六本木ヒルズのイルミネーションをみながら帰宅。今回のイルミネーションはSamsungの提供なのね。
ということで「夜のデジカメピクニック」の予行演習は終わり。あとは天気がイイことを願うのみ。
「4日午後4時45分ごろ、東京都目黒区の区勤労福祉会館で、アーチェリーの練習をしていた港区にある私立高2年の男子生徒(16)のみけんに、同じ高校の2年の男子生徒(17)が放った矢が刺さった。生徒は意識不明の重体。
警視庁目黒署などによると、矢を放った生徒は「(被害者に)矢を向けていて、誤ってうってしまった」と話しているという。
当時、アーチェリー場に指導員らはおらず、生徒2人だけだった。矢を放った生徒が119番した。負傷した生徒は的と射場の間を行き来する通路付近に倒れていた。
矢はカーボン製で長さ約70センチ。正面からみけんに刺さっており、生徒が自ら矢を抜いたという。同署は業務上過失傷害の疑いで、矢を放った生徒から事情を聴いている。
高校によると、2人の生徒はともにアーチェリー部員。自主練習だったため、顧問の教諭は立ち会っていなかった。
目黒区の職員によると、会館は6階建てで、屋上がアーチェリー場になっている。2人は定期的に利用しており、この日も午後4時半ごろから使っていたという。(共同通信 2009/11/05 00:43)」
意識不明だった被害者が本日死亡したそうです。(合掌)
それにしても、あまりにも幼稚すぎます。家族にしてみれば、事故とは思えないでしょうね。法律的には「重過失致死」ということになるのでしょうが、基本的なことを守ってさえいれば、絶対に起こすことのない「殺人」なのですから・・・。
もちろん、殺意などなかったでしょう。しかし、結果的には「殺人」をしてしまったのです。“事故”が起きていなかったとしても、「殺人未遂」であることは間違いないのです。
「刃物や飛び道具は決して他人に向けてはならない」という鉄則を守らなかった故の「殺人」なのです。
自主練習であり、顧問の教諭や施設の管理者も付いていなかったという話ですが、それなりの責任は残ります。
「矢を人に向けない」という基本中の基本を教えていなかったのでしょうか?加害者の少年は、このような事故が起こる可能性を考える能力もなかったのでしょうか?
「自分だけは大丈夫」「そんな“事故”は起こさない」という誤った自信が、この事件を起こしてしまったのです。
私の世代では、物心付くかどうかという頃から、先の尖っていない鋏を手渡すときも「刃先は相手に向けない」よう教育されたものですが、今はそういう教育もしていないのでしょうか?
軽い悪ふざけだったのだろうとは思いますが、結果的に、殺された被害者はもちろん、加害者の人生も狂ってしまったわけです。なにしろ、「殺人者」というレッテルは一生消えないのですから・・・
あなたの住んでいる地域、またはそだった地域で伝えられている昔話を1つ教えてください。
川崎って結構昔話が多いんですよね。一冊の本が出来るくらいに。
「縛られ松」と言う松の木に荒縄が結わえられているのがあるんです。
昔、巨大けれど一本松なのでひとりぼっちで寂しがって、夜になると自分の根っこを引っこ抜いて多摩川の方まで走って行ってそこの木々とクチャベって、日が昇る前に走り戻って抜けた穴にすとんと収まって素知らぬ振りをしたという・・・。
これを毎日やったので、夜に松の巨木が走って起きる風が吹き荒れて村じゅうに風邪がはやってしまい、危惧した人が、松が動けないように荒縄で縛ってしまったと言う、変わった昔話です。風邪を引いたら、その松の木に縄を縛りつけて、願掛けをし、風邪が治ったら縄をほどいてやったとか。
この昔話を漫画にしたことが有りますね。私が。
- 22:10 Qik - After Lunch Date by Hideki Saito #
- 22:21 I uploaded a YouTube video -- Qik - After Lunch Date by Hideki Saito bit.ly/uVZri #
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三遊亭圓楽氏が急逝し、「笑点」メンバーはじめ、各界の大物から弔辞が寄せられている報道を見ていて、ふと疑問に思ったことがありました。
それは、圓楽氏の弟弟子で、かつて(70年6月~77年8月)は「笑点」に出演していたこともある三遊亭圓窓氏のコメントが一切報道されないことでした。兄弟弟子という関係だし、弔問に行かないはずはないと思うのに、テレビに映る関係者は、「笑点」メンバーと圓楽門下の落語家ばかりです。
28年の歳月を掛けて五百噺を達成するために「笑点」を卒業したとは言え、まさか喧嘩をしたわけでもあるまいに・・・。
そういえば、同じ三遊亭圓生門下とはいえ、生え抜きの圓楽氏と違い、もともとは春風亭柳枝門下で師匠の逝去で三遊亭圓生門下に移った圓窓氏とは、必ずしも仲が良くはなかったのではないかという疑念も出てきました。
と言うわけで、素朴な疑問から、いろいろ検索してみると、圓窓氏のブログ「圓窓の年月日輪」に辿り着いたのですが、圓楽氏の訃報について触れている記事は僅かに10行。淡々と顛末を語るだけで弔いの言葉は一言もありません。
やはり、これは何かあるなと過去記事を覗いてみると・・・
ありました。昨年5月2日に書かれた「圓生(6) 5月2日 圓楽(5)の横暴」です。
この記事によれば、昭和の名人と呼ばれた先代圓生氏が亡くなったとき、「圓生の名前はもう誰にも継がせない」という意をこめて「止め名」にしたのに、圓楽氏が独断で「愛弟子鳳楽氏に七代目圓生を継がせる」と言っていると怒っているのです。
なるほど、そういう経緯があって、圓窓氏と圓楽氏の間に亀裂が生じていたのか・・・と一瞬納得したものの、やはり解せません。その話が出てから、圓楽氏が亡くなるまで一年半もの期間があったはず。
しかも、いろいろ検索していくと、こんな記事も見つかりました。
「三遊亭円朝作「怪談牡丹燈籠」を「三越納涼寄席」(7月12日、東京・日本橋の三越劇場)でリレー落語による通し口演することになり11日、出演する三遊亭鳳楽(61)金原亭馬生(60)五街道雲助(60)が円朝の墓のある谷中・全生庵を訪れた。
鳳楽の師匠三遊亭円楽(75)はこのほど「鳳楽に7代目三遊亭円生を、三遊亭楽太郎に6代目三遊亭円楽を襲名させたい」と明言した。鳳楽に大師匠 の名跡を、楽太郎には現役を引退した自らの名跡を継がせようという構想だが、鳳楽は「円生襲名は昨年末に6代目の遺族から申し出があったそうです。来年は 林家三平襲名もあるので、襲名が決まるとしても先になるのでは」と話した。
楽太郎の円楽襲名は問題ないものの、円生の名跡についてはその死後に遺族や円楽、故稲葉修法相を含めた関係者の間で誰にも継がせない「止め名」にするとの文書を交わしていた。そのため、円生襲名実現までには時間がかかりそうだ。(日刊スポーツ 2008.6.12 08:13)」
なるほど、「止め名」の問題が解決していなかったのですね。しかし、「先代の遺族から申し出があった」ということですから、関係者が協議し、封印を解けばいいのでは?それから、ゆっくりと「誰に七代目圓生を襲名させるか」を決めればいい。
ところで、その作業をする人は誰なのでしょう?
ということで、「圓生(6) 5月2日 圓楽(5)の横暴」に、コメントを書き込んで圓窓氏尋ねてみたのですが、具体的なことはちっとも書いてくれません。「直接お会いしてお話しすしましょう」とか「圓生の名を継ぎたいという者に質問してみたらどうでしょうか」と言うばかり。
一応、社交辞令で「ぜひお会いしたい」とは書いたものの、本音はわざわざ会いに行ってまで聞く気にはなれません。私だってそんなに隙ではないし、所詮、一演芸ファンという立場に過ぎませんから、三遊亭一門のゴタゴタの説明を聞いたところで、口を挟む問題ではありません。
ただ、ブログ上で異論を唱えている圓窓氏には、ブログ上で説明して欲しかったですね。
機会があれば、圓窓氏の噺などは聞いてみたいと思っていましたが、ちょっと興ざめです。
今後、襲名騒動がどうなるかわかりませんが、七代目圓生が誕生した時、一ファンとして「さすが、圓生」と唸ることになるのか、それとも「圓生の名が泣くね」と言うことになるのか。
ま、どっちでもいいですね。(笑)